こんにちは、はっぴーです。
わたしはちいさい頃から
「学歴」に対してものすごいコンプレックスが
ありました。
今回はそんなわたしのように
何かしらのコンプレックスがあっても、
人生はいくらでも変われるんだよっていう
お話です。
わたしは幼少期の頃から、
自己肯定感が低くて、自分に自信が
持てなくて、いつも母から他人と
比べられてきました。
ここからはあえてですます調を
辞めて物語調で書いていきますね。
幼稚園受験で全落ちをくらう
わたしは物心ついたころから
「受験」とともに生きてきた。
第一希望の幼稚園の受験日のことは
今でも忘れない。
わたしの人生でいちばん若い記憶が
幼稚園受験当日の記憶だ。
普段は着たこともないような
真新しいお洋服を着て、母と一緒に
手をつないで受験会場へと向かった。
母:「じぶんのおなまえはおおきな声で
はっきりと言うんだよ。」
わたし:「…。」
正直言って当時のわたしは
友達と遊ぶことが出来れば、
幼稚園なんてどこだってよかったのだ。
3歳の女のこはそんなことよりも
土手でどろんこ遊びがしたかった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
受験会場にて。
受験問題は知恵の輪のようなものを
外すというものだった。
時間内に知恵の話を外すよう、
面接官から指示されたが、
極度の緊張と外し方が分からずに、
わたしはその場で固まってしまった。
「えっ?なにこれ?どうやってはずすの…?」
結局、最後まで外し方が分からず、
知恵の輪に指1本触れることなく
面接が終わった。
もちろん
結果は不合格。
帰り道に無言で歩く母を見て、
3歳にして、
「自分は選ばれなかった」
ということだけは理解できた。
もちろん母からは、
何で黙っていたのか、
何で知恵の輪を取ろうとしなかったのかなど
家に帰ってからこっぴどく怒られた。
結局幼稚園受験は全滅。
親の描いていたエスカレーター式の
私立の幼稚園には入れず、
幼稚園、小学校と公立の学校に
通うことになった。
中学受験に失敗
「小学生の時の思い出はなんですか?」
と聞かれて子供が答えることは、
家族で夏休みにプールに行ったこと
おばあちゃんと夏祭りに行って
美味しいかき氷を食べたこと
こんなところだろうか?
わたしの小学生の時の思い出を
ひとことで言うなら、
「中学受験」だ。
小学校3年生に上がったくらいから
母がしきりに「受験」という言葉を
口にするようになっていった。
塾に通い始めたのも
この頃からだった。
学校が終わると友達はみんな近くの
土手や学校の校庭でバスケやサッカー、
一輪車などで遊んでいた。
わたしはというと、
塾に行くために渋々家に帰宅。
学校の宿題をさっさと済ませて
テーブルに置いてあるおにぎりを
口いっぱいにほおばった後、
薄暗い道を歩いて塾へ向かっていた。
「わたしも一輪車で遊びたかったな…」
仲の良かった友達も、
塾へ行くからという理由で
次第に遊ぶ時間が減っていき、
わたしから離れていった。
幼いころから母から妹と比べられて生きてきた。
幼稚園受験に全落ちしたわたしと、
幼稚園受験に見事合格した妹。
児童館に遊びに行っても
可愛がられるのはいつも妹のほう。
2人同時に遊びたいおもちゃが被っても
遊べるのはいつも妹が先。
「おねえちゃんだから我慢しようね。」
……
(わたしはかわいくないんだ…)
その頃から、
「おねえちゃんだからしっかりしなきゃ」
「大人の期待に答えなきゃ」
と、どんどん自分で自分を追い込んで
いくようになった。
「本当は甘えたいのにな…」
いつしか自分の感情を押し殺し、
大人の期待に答えなきゃって
周りの顔色うかがって
生きるようになっていった。
これといって何か取り柄があったわけでも、
勉強が出来たわけでもなかったわたしは、
母から人と比べられることで、
どんどん自信をなくしていった。
とにかく教育熱心な
家庭で育てられてきた。
「たくさん勉強して自立した女性に
なりなさい。」
母からことあるごとに
そう言われてきた。
だからその一心で
がむしゃらに勉強をした。
友達が一輪車で遊んでいる時も
妹が家で楽しそうにテレビを見ている時も
全てを捨てて行きたい中学のことだけを
考えて勉強した。
でも成績は一向に上がっていかない。
なのに、自分よりも2年も遅くから
塾に行き出した友達に成績はどんどん
抜かされていった。
小学6年生になり、受験が近づいてくると、
さらに母から友達と比べられるようになった。
母:今日ね、Aちゃんのお母さんにばったり会って
聞いたんだけど、Aちゃん、
慶応が合格圏内になってきたんだってね。
私:(無言: あーまた始まった。またAちゃんの話かよ)
母:あなたもAちゃんと同じ塾行ってみたら?
この前の模試の結果も良かったって、Aちゃんの
お母さんから聞いたの。偏差値も上がってきたみたい。
ちゃんと塾にも通わせているのに、
なんであなたは一向に成績が
伸びないのかしらね?
私:(無言: だからなんなの?私は私なりに
一生懸命頑張ってるし、偏差値だってほんの少し
だけど上がってきたのに… 。
きっとわたしは何をやっても
どうせお母さんには認めてくれないんだ。)
私は私でしょ。ほっといてよ!
結局、
自分の行きたかった第一希望の学校には
行けず、中学受験は失敗に終わった。
「うそ…、なんで…??」
「友達と遊ぶのも我慢して、見たかったテレビも
我慢して塾にも通って、眠い目をすりながら
必死で勉強してきたのに…。」
「ちくしょおーーーー!」
わたしは滑り止めで合格した
中高一貫の女子校に通うことになった。
落ちぶれ女の3度目の失敗
中高一貫の学校に入ったので、
高校受験というものがなかった。
高校3年生になり、
ようやく大学受験を意識するようになった。
でも、
もうその時は遅かった。
仲の良かったクラスの友達も
本腰いれて勉強を開始し、
わたしは完全に出遅れていた。
いくつか受験したが、
結果は不合格。
受けた大学は、
滑り止めも含めて全滅だった。
唯一、
滑り止めの滑り止めの大学から
2次募集という形で受験をし、
やっと合格をもらえた。
滑り止めの滑り止めの大学にしか
合格出来なかったわたしと、
自分が行きたかった有名大学に合格し、
華のキラキラ女子大生を満喫する妹。
勉強の出来る妹と勉強の出来ないわたし。
母から比べられるたびに
悔しくてたまらなかった。
安定を求めて大手に就職を希望する
大学3年の春から就職活動を開始した。
昔からずっと言われてきた
母の教えがある。
それは、
「たくさん勉強していい大学に入って
大手に就職しなさい。」
というものだった。
勉強もダメ、
いい大学への進学もダメだった
わたしにとって、
就職活動で挽回し、
大手に就職してキャリアを積む
しか道は残されていなかった。
「大手に入ってバリバリ働いてみたい。」
そう思ったわたしは
本腰入れて就職活動を開始した。
履歴書に大学の名前を書くことが
嫌で嫌で仕方がなかった。
同じ企業を志望する就活生を見回しても、
東大、京大、早稲田、慶応、上智と
みんなエリートばかり。
自分が地方の無名大学出身なのが
恥ずかしてたまらなかった。
そんな状況下でも、
入りたかった金融系大手企業から
奇跡的に内定をもらえた。
これが今の会社。
内定の連絡をもらえた時は
嬉しさのあまり大声で歓喜した。
「やったぁああああああー」
真っ先に母にも報告した。
「よく頑張ったね。」
と、やっと母から認めてもらえた瞬間だった。
大手は安定、安心なんかじゃなかった
入社してからはバリバリ働きたい
という一心で、仕事に没頭していった。
営業職という仕事は、基本給に加えて
成果報酬としても収入が入る。
だから、頑張れば頑張るほど
お給料という形で評価されるのが楽しくて
どんどん仕事に夢中になっていった。
でもフタを開けてみると、
・朝7時出社、23時帰宅。
・毎日のように度重なる取引先との接待
・会社の飲み会では上司の話をひたすら聞き
日付が変わるまで付き合うことも
・土曜出勤は当たり前
休日に接待でゴルフに行くことも
・もちろんまとまった休みも取れない
くたくたになって帰宅して、
そのままベッドに倒れ込み
スーツをきたまま朝を迎える。
これが現状だった。
「どうしてこんな生活、
毎日繰り返さないといけないんだろう…」
大手に就職すれば経済的にも安定するし、
幸せに暮らせると思ってた。
たしかに給料は悪くはない。
だけどそれに比例して「時間」がない。
時間がなければいくらお金があったと
しても、幸せとは言えなかった。
仕事が忙しすぎて
自分の体調のことはいつも後回し。
「あー、今日体調悪いな…」
そんな時でも会社を休んで
病院に行ける時間なんてなかった。
体調がすぐれない日が何日も続いた。
胃が痛くて食欲もない。
そして、ついに体が悲鳴をあげた。
病院に行った時、
医師から告げられたのは
「胃潰瘍」だった。
もっと前から吐き気などの症状が
あったはずなのに、
なぜ今まで治療もせずに
放置していたのかと
医師から言われたが、
病院に行く時間すらなかったのだ。
その日から本格的に治療が始まった。
何度も胃カメラを飲んでは
検査するという
地獄のような日々だった。
検査をしても、薬を飲んでも
症状はあまり改善されることはなかった。
医師からはストレスや飲酒が原因だから、
環境変えることが一番の治療法だとも言われた。
薬で多少の痛みは抑えることが出来ても
日々のストレスからは逃れられない。
さらに追い討ちをかけるように、
どんなに体調が悪くても、
大事な接待には顔を出さなければいけない。
接待では
なんとかお酒を飲むことは免れたとしても、
会食で食べたくもない料理を食べる。
あまりにも体調が悪くて接待中にトイレに
駆け込み吐いてしまったこともあった。
「あぁ…もう無理…」
「なんでここまで自分を犠牲にして
働かなきゃいけなんだ!!」
今の環境を変えなければ
自分の体調は治ることはない、と
確信し、
31歳の時、結婚をきっかけに
今まで積み上げてきたキャリアを
全て捨てることになった。
第一線で活躍する部署を離れ、
定時で帰れる部署へと異動した。
「大手=安定・安心」
だと思っていた。
でもフタを開けてみると
まったく安定、安心ではなかった。
そもそも、
サラリーマンという仕事は
体や心を壊して
仕事が出来なくなってしまえば
一気に収入がゼロになるリスクだって
ある。
それに、
どんなに福利厚生が良くて
安定していると言われる
大手のサラリーマンだって
結局は「労働者」にしか過ぎない。
これって言い換えると、
他人(会社)のために自分の時間と
労力を提供することで対価をもらって
いるということだ。
だから、
どんなに働いてもそれは会社の「資産」
になるだけで、自分の「資産」には
ならない。
つまり、自分の「資産」がなければ、
永遠に自分の時間と労力を会社に
提供しなければいけないということ。
これって会社に依存しているってことだ。
辛くても忙しくても、給料をもらう
ために我慢して働く。
そしてこの生活に耐えられなくなったら
収入は途絶えてしまう。
この恐怖のために働く。
また、
今ある仕事の47%があと20年後には
なくなると言われている昨今を考えると、
サラリーマンという業種そのものが
失われる可能性だってある。
その時に
会社に依存していたら、
自力で稼ぐ力がなかったら、
これは安定ではなく、リスクでしかない。
だからわたしは自力で稼ぐ力を身につけるために、
ネットビジネスを始めることにした。
学歴なし、才能なし、スキルなしでも可能性があるビジネス
いかがでしたか?
ここまでお話してきた通り、
わたしは子どもの頃からずっと母から
人と比べられて生きてきました。
妹と、親友と、友達と。
受験に3回も失敗し、
学歴に強烈なコンプレックスを持ち、
自分に自信も持てなくなって
いきました。
でも、
ネットビジネスに出会って本当に
人生が変わりました。
たとえば、
✔︎お客様からの「ありがとう」をいただけるようになった
✔︎起業家仲間も増えて1日1日が刺激的になった
✔︎寝ている間も満員電車に乗っている時も働かずに自動収入が入ってくるようになった
✔自力で稼ぐ力を身につけたことで、会社で嫌なことがあっても何とも思わなくなった
✔︎先の見えない将来から一変、1年後、3年後、5年後が楽しみでしょうがなくなった
✔自分の時間ややりたいことが出来るようになった(マッサージとヘッドスパが最高にしあわせ)
✔パソコンが苦手だった私が自分のブログを立ち上げるなど、PC スキルが身についた
✔本業でもビジネススキルが生かせて、営業成績は爆上がりした
✔色んな物事をビジネス目線で見れるようになった
✔家族で過ごす時間が増えて、より一層仲が深まった
✔お金を理由に自分のやりたいこと、子供のやりたいことを諦めなくなった
などなど。
わたしはもともとビジネスにおける知識はゼロ。
SNSでの発信経験もなく、
パソコンは大の苦手でした。
そんなわたしがネットビジネスに出会い、
勉強をしていったからこそ、
将来に希望が持てるようになりました。
ネットビジネスは
学歴も年齢も才能や特別なスキルがなくても、
正しい知識を学んで、実践すれば
誰にでもチャンスがあります。
わたしのように学歴にコンプレックスが
あったとしてもビジネスは出来ます。
たとえると、
ネットでモノを売る技術は
クルマの運転とか料理と一緒です。
マニュアルといわれる「型」があるから、
その「型」にそってパズルのように
1つずつ当てはめていけばいいだけ。
自己流でやろうとせず、
ちゃんと知識のある人から習うのが
いちばんです。
クルマの運転だと、自動車学校に行って
習うのに、
ビジネスとなると、
なぜか自分でもいけるでしょって
自己流に走っちゃう人が多いですが、
ちゃんと知識のある人から習って行動すれば、
結果はおのずとついてきます。
料理も同じです。
一流シェフが考案したレシピを手に
入れても、包丁の使い方、肉の下処理の
方法、魚の捌き方など、
やり方を学ばないと、美味しい料理は
出来上がりません。
正しいやり方をプロから習って
素直に実践すれば、誰がやっても
ある程度の味にはなります。
わたしが見てきた起業家たちは、
本当にごくごく普通の方ばかりです。
普通の元事務員OLさんや元派遣社員、
現役大学生や高卒の元ニートや
専業主婦など。
学歴や年齢、性別や職業、
全く関係ないのです。
みんな正しい知識を学んで
行動しただけなんですよね。
逆に、もし
ネットビジネスで成功出来るのは
一部の外資系エリートサラリーマンや
東大、京大卒のエリートが多いのなら、
わたしは1000%挑戦していなかったと
思います。
だから、コンプレックスがあっても、
自分に自信が持てなくても、
ビジネスに挑戦してみたいって思える人が
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