著者のプロフィールと理念

はじめまして、はっぴーです。

 


この出会いがもしかしたら
あなたの人生を変える
きっかけになるかもしれません。

 

そうなれたらいいなと思って
全力で書いていきます。

 


私は会社員で営業職として働く傍ら、
インターネットを使ったビジネスをしています。

 


共働きの4人家族で、

やんちゃ盛りな3歳の息子と
産まれたばかりの娘を保育園に預けて働く

ごくごく普通のワーママです。

 


ちなみに
私の実績を簡単に紹介すると、

ビジネス開始
6カ月目には月収35万円、
9ヶ月目には月収64万円を達成し、

10ヶ月目には会社員の給料と併せて
月収102万円を突破しました。

 


今は子育てしながらでも
会社で働きながらでも、
寝ている間でも、

安定して月に20万円〜30万円の副業収入が
毎月銀行口座に振り込まれている状態です。

 

例えば、
ぎゅうぎゅうの満員電車に乗っている時も

高熱でベットから1歩も動けない時も

子どもに絵本を読み聞かせている時も

子どもの体調不良で会社を休んでいる時も

ふとした時に5万、10万と
お金が振り込まれています。

 


気づいたら日給30万円が
振り込まれていた!

なんてことも
めずらしくなくなりました。

 


今は会社員として働きながら
副業という形でビジネスをしていますが、

ゆくゆくは会社を辞めて
起業家としての道もありかな
と思っています。

 

 

雇われる人生から解放されると
こんな生活が待っています。


・帰りの航空券を買わずに平日に
ふらっと旅行に行ける


・目覚ましをかけずに好きな時間に起きて
お気に入りのカフェでのんびり朝食を食べる


・平日の昼間から空いている映画館に行き、
こころゆくまで映画を楽しめる

 

誰からも何1つ強制されることなく、
自分の好きな予定だけで
いっぱいの生活を送ることが出来ます。

 


本気でビジネスに取り組めば、

会社員しながらでも
子育てしながらでも

たった数ヶ月で人生は変わります。

 

 

これだけ聞くと
どんな怪しいことをしているのかと
思われるかもしれませんね。

 

実際に私もこのビジネスモデルに
出会う前はそう思っていました。

 

 

でも私がやっているビジネスは
ワンクリックで月100万円とか
1日30分の作業だけで月何十万とか

そういった短期的なものではありません。

 

インターネット上に仕組みを作ることで、
この先何十年と安定的に収益が上がる
ビジネスモデルです。

 

 

なぜこのビジネスモデルを
選んだのかというと、

安定的に長期的に
自由な時間とお金を手に入れたかったからです。

 

たとえば、
会社員で収入を増やそうと思ったら
残業をするか、昇格するかしか方法はありません。

 

逆に、
パートやアルバイトなどの働き方に変えれば
時間は増えるけど収入は減ってしまいます。

 

 

どうにかして
時間とお金、両方の自由を手に入れて
本当の意味で豊かな生活を送る方法は
ないのか?

 

そう思っていた時に出会ったのが
インターネットを使ったビジネスです。





ここで、

インターネットビジネスを始めて変化したことを箇条書きで紹介しますね。


✔︎先の見えない将来から一変、1年後、3年後、5年後が楽しみになった


✔気づいたら銀行口座に1日で10万円、20万円と自動で振り込まれる日も珍しくなくなった

✔︎絶対に知り得なかったであろう億稼ぐ起業家さんと会食を共にする機会が増えた

✔︎自分と本当に価値観のあう人に出会えた


✔家族で過ごす時間が増えて、より一層家族の仲が深まった


✔子供がやりたいとはお金を気にせず挑戦出来るようになった


✔自分がやりたいことに挑戦出来るようになった

 

などなど、
今までの私では考えられなかったような、
刺激的でワクワクした毎日を過ごしています。

 

 

今でこそ充実した毎日を過ごしていますが、
過去には80時間以上の時間外労働で
体調を崩したこともありました。

 


営業職という仕事は、基本給に加えて
成果に応じて歩合給が上乗せされます。

 

だから仕事もそれなりに…
いや、かなり頑張っていました。

 

自分が頑張れば頑張るほど、
お給料という形で評価されるのが楽しくて
どんどん仕事に夢中になっていきました。

 


営業という仕事に誇りを持ち、
まさにこの仕事がまさに天職だと思っていました。

 

でも、
営業成績が良くなればなるほど、
お客さんが増えれば増えるほど、
それに比例して自分の時間は
なくなっていきました。


そしていつしか
今の働き方に疑問を持つようになりました。

 

「私はなんのために働いてるんだろう…」

 



こんなふうに思っていても、

「会社で働くしか私には選択肢はない」
「だから頑張って働くしかないんだ」

そう自分に言い聞かせ、働いてきました。

 

 

でもふと自分の将来を考えた時に、

「このまま定年まで働いて後悔しない人生
だったと言えるのだろうか?

と思ったのです。

 


答えは「NO」でした。

 

 

であれば、
自力で稼ぐスキルを身につけなければいけない

と確信したのです。

 

 

なぜなら、
自分で稼ぐスキルを身につけることができれば
会社に依存することもなくなるし、

いざという時にお金を理由に
やりたいことを諦めなくて済むからです。

 


自分で稼ぐスキルを身につけることで、
将来の不安もなくなります。

 

不安がなくなると、行動の幅も広がり、
人生においての経験や豊かさも
格段に上がります。

 


だから私は、

「自力で稼ぐスキルを身につけて、やりたいことに挑戦できる人をを増やしたい」

という思いで情報発信をしています。

 

 

このブログでは、

私が億を稼ぐ起業家から得た学びを
分かりやすく再現性の高い情報に加工して
お届けしていきます。

 

ぜひ興味のある記事から
どんどん読んでいってください。

 

このブログを読むにあたり
私がどういう人間なのかを
知っていただくことで

よりブログの内容を
理解しやすくなると思うので、

過去の物語を話していきますね。



(ここからはあえてですます調を
辞めて書いていきます。)

 

 

〜はっぴーの物語のはじまり〜

幼少期〜人生最初の挫折

 

私はセミの鳴き声がミンミンと響く
暑い日に生まれた。

 


厳しい父と

それを陰で支える家庭的で教育熱心な母

愛嬌があって人懐っこい3つ下の妹

 


2人姉妹の長女として生まれ、
厳しくも温かい家庭で育った。

 


とにかく
教育に重きを置いた家庭で育ったので、

物心ついたころから
「受験」とともに生きてきた。

 


一番最初に直面したのは
幼稚園受験の時だった。


普段は着たこともないような
真新しいお洋服を着て、

母と一緒に手をつないで
幼稚園の受験会場へと向かった。

 

 

母:「じぶんのおなまえはおおきな声で
はっきりと言うんだよ。」

 


私:「はい…」

 


当時の私にとって
幼稚園なんてどこだってよかった。


3歳のちいさな女の子は
受験なんかよりも、

ただただお友達と一緒に
土手でどろんこ遊びがしたかった。

 

 

受験会場にて。

受験問題は知恵の輪のようなものを
外すというものだった。

 

時間内に知恵の話を外すよう、
面接官から指示されたが、

極度の緊張で、外し方が分からずに
私はその場で固まってしまった。

 

「えっ?何これ?どうやってはずすの?」

 


結局、知恵の輪に指1本触れることなく
面接が終わった。

 

もちろん
結果は不合格。

 


帰り道に無言で歩く母を見て、

3歳にして、
「自分は選ばれなかった」
ということだけは理解できた。

 

家に帰ってから母からは
何で黙っていたのか、
何で知恵の輪を取ろうとしなかったのかなど

こっぴどく怒られた。

 

結局、幼稚園はいくつか受験したが、
すべて不合格に終わった。



親の描いていたエスカレーター式の
私立の幼稚園には入れず、

幼稚園、小学校と公立の学校に
通うことになった。

 

私はかわいくないんだ…

 

児童館に遊びに行っても
可愛がられるのはいつも妹のほうだった。

 

2人同時に遊びたいおもちゃが被っても
遊べるのはいつも妹が先。

 

「おねえちゃんだから我慢しようね。」

と大人から言われるたびに、

「私はかわいくないんだ…」と
思うようになっていった。

 


この頃から、

「おねえちゃんだからしっかりしなきゃ」
「大人の期待に答えなきゃ」

 

と、どんどん自分を追い込んで
いくようになった。

 

 

「本当は甘えたいのにな…」

 

 

いつしか自分の感情を押し殺し、
大人の期待に答えなきゃって

周りの顔色うかがって
生きるようになっていった。

 

 

小学生〜常に周りと比べられてつらかった

 

小学校3年生に上がったくらいから
母がしきりに「受験」という言葉を
口にするようになっていった。

 

塾に通い始めたのも
この頃からだった。

 

学校が終わると友達はみんな近くの
土手や学校の校庭でバスケやサッカー、
一輪車などで遊んでいた。

 

私は学校が終わるとすぐに帰宅。

 

宿題をさっさと済ませて
テーブルに置いてあるおにぎりを
口いっぱいにほおばった後、

 

薄暗い道を歩いて塾へ向かっていた。

 

「私も一輪車で遊びたかったな…」



本当は友達と遊びたかったが、
わたしには「勉強する」以外の
選択肢はなかった。



とにかく教育熱心な
家庭で育てられてきた。

 

「たくさん勉強して自立した女性に
なりなさい。」

 

母からことあるごとに
そう言われてきた。

だからその一心で
がむしゃらに勉強をしていた。

 

友達が一輪車で遊んでいる時も
妹が家で楽しそうにテレビを見ている時も

全てを捨てて行きたい中学のことだけを
考えて勉強した。

 

でも成績は一向に上がっていかない。

なのに、自分よりも2年遅くに
塾に行き出した友達に、

成績はどんどん抜かされていった。

 

 

小学6年生になり、受験が近づいてくると、
母から周りの友達と比べられるようになった。

 

母:今日ね、Aちゃんのお母さんにばったり会って
  聞いたんだけど、Aちゃん、
  慶応が合格圏内になってきたんだってね。

私:(無言: あーまた始まった。またAちゃんの話かよ)

母:あなたもAちゃんと同じ塾行ってみたら?
  この前の模試の結果も良かったって、Aちゃんの
  お母さんから聞いたの。偏差値も上がってきたみたい。
  ちゃんと塾にも通わせているのに、
  なんであなたは一向に成績が
  伸びないのかしらね?


私:(…だからなんなの?私は私なりに
  一生懸命頑張ってるのに…。

  きっとわたしは何をやっても
  どうせお母さんには認めてくれないんだ。)

  私は私でしょ。ほっといてよ!

 


結局、
自分の行きたかった第一希望の学校には
行けず、中学受験は失敗に終わった。

 


「えっ、うそ…、なんで…?」


「友達と遊ぶのも我慢して、見たかったテレビも
我慢して塾にも通って、眠い目をすりながら
必死で勉強してきたのに…。」


「ちくしょおぉぉぉーーーー!」

 


私は滑り止めで合格した
中高一貫の女子校に通うことになった。

 

中学生、高校生〜学歴コンプレックス。

 

中高一貫の学校に入ったので、
高校受験というものがなかった。



高校3年生になり、
大学受験を意識するようになった。

 


でも、
勉強しても勉強しても
一向に成績は上がらない。

 

いくつか受験したが、
結果はすべて不合格。

 

受けた大学は、
滑り止めも含めて全滅だった。

 

唯一、
滑り止めの滑り止めの大学から
2次募集という形で受験をし、
やっと合格をもらえた。

 


滑り止めの滑り止めの大学にしか
合格出来なかった私と、

自分が行きたかった有名大学に合格し、
華のキラキラ女子大生を満喫する妹。

 

勉強の出来る妹と勉強の出来ない私。
母から比べられるたびに
悔しくてたまらなかった。

 

大学生〜NYへダンス留学。夢を諦めた先には。

 

大学に入ってからは、
特にやりたいこともなく、

適当に課題をこなして単位をもらう
学生生活を送っていた。

 

そこで私に転機が訪れた。

 

友人に誘われて何気なく行った
渋谷のクラブ。

 

 

今までぼーっと生きてきた私にとっては、
刺激がたくさんでワクワクが止まらなかった。

 

 

そこでダンスのステージを見たのだ。

 

 

衝撃的だった。

 

 

スポットライトを浴びてキラキラと輝きながら
踊るダンサーを見て

 

直感的に
私もこうなりたいと思った。

 

 

ショータイムが終わった後、
恐る恐るそのダンサーに話しかけにいった。

 

 

「あの…ダンス、すごくカッコ良かったです!なんか感動したっていうか、私もやってみたいです!どうやったら出来るようになりますか?」

 

 

今思えばかなりの行動力だ。

あれだけ受験で失敗してきて
自分に自信なんて
これっぽっちもなかったのに。

 

 

この頃から、

 

「人に感動を与えたい」
「自分を表現できるようになりたい」

 


このダンサーみたいに、


私がきっかけで
「人の人生を変えられる人になりたい」


と思うようになった。

 

 

ダンスを基礎から学び、
大学3年の頃にはダンスのお仕事を
いただくまでになっていた。

 

 

どうしても世界を見たかった私は、
死に物狂いでバイトした。

 

バイト→ダンス→バイト→ダンス

 

大学の授業なんてそっちのけで
何かに取り憑かれたようにダンスに
明け暮れていった。

 

 

そして、3年間
必死で貯めたお金を握りしめ、

 


2カ月間、NY へ飛び立った。

 


NYでは、海外アーティストの
バックダンサーやミュージカル俳優を
目指すプロのダンサーたちと共に

大好きなダンスに没頭していった。

 


今まで生きてきた人生の中で
一番刺激的で楽しくて
ずっと大好きなダンスをしたい!

そう思ってた。

 


そんな時、
就職活動のタイミングがやってきた。

 

 

ダンスのことで頭がいっぱいだった私は、
就職なんてこれっぽっちも考えていなかった。

 

 

ダンスをしながら、
バイトする生活を続けようと思っていたが、
両親から猛反対をくらった。

 

 

もちろん、親だけではなく、先生、友達にも。

周りの友達は就活一色。

 

今まで一緒に踊っていた友人ですら、
気づけば真新しいリクルートスーツだらけ
になっていた。

 

やっぱり個人が
ダンスで食べていくには無理なのか…?

 

会社員のように安定もしていないし、
福利厚生もない。

 

それに不安定だ。

 

そんな時、
母からずっと言われていたことを思い出した。

 

「勉強して安定した職につきなさい」

これが母の口癖だった。

 


ダンスの道と就職の道
どちらに進むべきなのか迷いに迷った。




就職しても
ダンスを続けることは出来る!



そう自分に言い聞かせ、
最終的に私は安定という
就職の道を選んだ。

 


その日から本腰入れて
安定した職を目指し就職活動を開始した。

 

就活を始めてからは、
履歴書に大学の名前を書くことが
嫌で嫌で仕方がなかった。

 


同じ企業を志望する就活生を見回しても、

東大、京大、早稲田、慶応、上智と
みんなエリートばかり。

 

自分が地方の無名大学出身なのが
恥ずかしてたまらなかった。

 


そんな状況下でも
奇跡的に金融系大手企業から
内定をもらえた。

これが今の会社。




内定の連絡をもらえた時は
真っ先に母にも報告した。

 

「よく頑張ったね。」

 

と、普段口数の少ない母から出たこの一言には
計り知れない重みがあった。

 


今まで受験で3度も失敗し、
出来損ないの私だったが

少しだけ自分に自信を持つことができた。

 

会社員時代~働くことの意味は?そこで直面した現実

 

入社してからは営業の部署に配属された。

毎年全国で上位5位の業績を誇る部署だ。

 

 

初めて社内で自己紹介する時は
声が震えていた。

周りの上司や先輩たちがキラキラしすぎて、
圧倒されたからだ。

 

 

みんな品があって、オーラが半端ない。

オーダーメイドらしきスーツを着て、
袖からチラリと見える時計は高級そうだった。



(やっぱり一流の営業マンってすごい!!
かっこいいなぁ〜)

 

 

社内を見渡すと壁には
社員の名前と棒グラフがドーンと
掲示されていた。

 

 

さすが全国トップレベルの営業部。
壁という壁一面が掲示物や表彰状で
埋め尽くされていた。

 

 

やればやるだけ成果が給料に反映されるのが
営業の世界。

 

 

部署の中には、年収2000万以上の人が
何人もいると聞いた。

 

そんな人たちと一緒に仕事が出来ると思うと
興奮とワクワクで胸がいっぱいだった。

 

 

営業という仕事は初めてだったが、
想像していたよりも楽しかった。

 


お客様から感謝されたり、
必要とされるのが嬉しかった。

 

 

入社直後、
輝かしい業績はなかったけど、
お客様から必要とされるというのは、

自分を認めてもらえた気がして、
本当に嬉しかった。

 

そしてどんどん仕事にのめり込んでいった。

 

 

営業職は基本給プラス成果給が
もらえるので、頑張れば頑張るほど
お給料が増えていくのが楽しかった。

 

 

土日も夜も遅くまで働いた。
たまの休日ですら、
お客さんや上司から
電話がなれば会社に駆けつける。

 

 

いつしか会社でも評価されることが増え、
部下をかかえるようになった。

 

 

さらに責任感も増し、

ついに年収は1100万円になった。

 

 

入社した当初から
ずっと憧れていた、

やっとつかんだ成果だった。

 

 

でも…

 

 

ふと立ち止まって
自分の会社員人生を振り返ってみると、


自分の時間が全くないことに気づいた。

 

 

朝から晩まで働き、寝に家に帰るだけの日々。

友達との予定も急な会議などで
キャンセルが続き、
自然と誘いも来なくなった。

 

 

一番悲しかったのは友人の結婚式ですら、
出席出来なかったこと。



友人の結婚式の1週間前に突如仕事が入り、
友人に電話を入れた時のこと。

 


「ごめん…結婚式…
仕事で行けなくなっちゃった。」

 


「えっ…まじで??」

 

一瞬、電話越しだが
時が止まったかのような重い空気が
流れた。

 


「本当にごめん!!しかもこんな
急なタイミングで本当にごめん!

必ず埋め合わせするから、
ごめんなさい!」

 

ショックを隠しきれない様子の
友人にただひたすら謝ることしか出来ずに
電話を切った。

 


「一生に一度の友人の結婚式ですら
お祝いしてあげられないのか…」

 


「あぁ…なんでこんなに仕事を優先する
人生しか生きられないんだ…」

 


自分の働き方に不満を持ちながらも、
当時の私はただ黙って働くしか選択肢が
なかった。

 

 

当時付き合っていた彼とも
仕事が原因で別れることになった。

 

 

「このまま仕事ばっかりやってまともに
恋愛や結婚は出来るんだろうか?」

 

「こんな生活をいつまで続けなければ
いけないんだろう?」

 

「このまま身を粉にして働いて
悔いのない人生だったと言えるのだろうか?」

 


少しずつ自分の働き方に
疑問を持つようになっていった。

 

 

仕事が忙しすぎて
自分の体調のことはいつも後回し。

 

「あー、今日体調悪いな…」

 


そんな時でも会社を休んで
病院に行ける時間なんてなかった。

 


体調がすぐれない日が何日も続いた。
胃が痛くて食欲もない。

 


そして、ついに体が悲鳴をあげた。

 

病院に行った時、
医師から告げられたのは

「胃潰瘍」だった。

 

もっと前から吐き気などの症状が
あったはずなのに、

なぜ今まで治療もせずに
放置していたのかと
医師から言われたが、
病院に行く時間すらなかったのだ。

 

その日から本格的に治療が始まった。



何度も胃カメラを飲んでは
検査するという
地獄のような日々だった。

 

検査をしても、薬を飲んでも
症状はあまり改善されることはなかった。

 

医師からはストレスや飲酒が原因だから、
環境変えることが一番の治療法だとも言われた。

 

薬で多少の痛みは抑えることが出来ても
日々のストレスからは逃れられない。

 


さらに追い討ちをかけるように、

どんなに体調が悪くても、
大事な接待には顔を出さなければいけない。

 

接待では
なんとかお酒を飲むことは免れたとしても、
会食で食べたくもない料理を食べる。

 

あまりにも体調が悪くて接待中にトイレに
駆け込み吐いてしまったこともあった。

 

「あぁ…もう無理…」


「なんでここまで自分を犠牲にして
働かなきゃいけなんだ!!」



と、今の環境を変えなければ
自分の体調は治ることはないと
確信した。

 


ちょうどその頃
結婚することになった。

 


31歳の時、
第一線で活躍する部署を離れ、
定時で帰れる部署へと異動した。

 

妊娠~閉ざされたキャリア

 

夫は私の仕事に対し理解してくれていた。

 

新しい部署は
9時から17時半までの
定時で上がれるところで

仕事内容は以前とは比べて責任も減り、
土日も休めるようになった。

 

激務から離れたことで
体調は順調に回復していった。

 

働く環境が変わってからすぐに
妊娠していることがわかった。

 


夫も私も飛び上がって喜んだ。

 


でも、と同時に不安が押し寄せてきた。

 


年収が下がって家計が苦しく
なるのに、子どもが産まれたら
さらにお金がかかる。

 

「住宅ローンに教育費、車の買い替えに
老後の資金…、第2子も考えたいし…」

 


考えれば考えるほど不安になっていった。

 

ワーママの葛藤と現実

 

冬の寒い日、ついに長男が誕生した。
愛おしくてたまらなかった。

 


でも、
子どもと過ごす幸せな時間でさえ、
満足に取ることは出来なかった。

 


出産からわずか2カ月という早さで
職場復帰した。

 


子供が生まれてからの日常はというと、

必死で定時までに仕事を終わらせ、
申し訳なさそうに会社を後にし、
急いで息子のお迎えへ。

お迎えはいつも決まって息子が最後
だった。

 

お友達がみんな帰ってしまった後、
一人でさみしそうに待ってる息子に
罪悪感でいっぱいだった。

 

(寂しい思いをさせてごめんね…)

 


保育園からの帰り道、
息子を自転車の後ろに乗せながら

涙しながら帰ったこともあった。

 

 

仕事も頑張りたい。
でも子どもがいることで独身の時ほど
大した仕事は任されなくなる。

 

子どもが急に熱を出してしまい、
保育園に預けられなければ、

どんなに大事な商談があっても
会社を休まなければらない。

 

そのたびに上司に頭を下げて
自分がやるはずだった仕事を
お願いしなければいけない。

 


会社での私は、

「お迎えがあるから早く帰らなきゃいけない人」
「子どもの熱でよく休む人」

という位置付けになり、

 

本当は仕事を頑張りたいのに、
肩身の狭い思いをしながら
仕事をしなければならない。

 

さらに定時で上がるとはいえ
家に着くのは19時過ぎ。

 

そこから
家事、育児をこなすため、

子どもと遊んだりする時間さえ
充分には取れない。

 


家事育児を終えて
ふと時計を見ると
気がつけば23時を回っていることも。

そしてあっという間に1日が終わる。

 


仕事も育児も…
どれも全てが中途半端。

 

本当は独身の時のように
バリバリ仕事がしたい。



でも子どもがいるからという理由で、

キャリアが途絶えたり
時短勤務になってしまったり
仕事を辞めなければならなかったり…

働き方を変えなければならないことだってある。

 

 

「仕事と育児、一生懸命やりくりして
頑張っているのに報われない…」

 

こんなことをいつも思いながら働いていた。

節約・貯金・資産運用すれば将来安泰だと思ってた日々


定時で上がれるようになり、
ほっとしたのも束の間、

一気に不安が襲ってきた。

 


教育費や住宅ローン、車の買い替え、
二人目も欲しいし、老後の資金…

 

ますますお金の心配は増えていくばかり
だった。

 

それに部署を移動したことで、
独身時代1100万円あった年収は
大幅に減ってしまった。

 


節約ママブロガーのブログを読んでは
とにかく節約できるものはとことん
節約した。



朝昼晩の3食自炊はもちろん、
水筒持参で会社に行き、
家族で行くレジャーも公園や
ショッピングモールで1日過ごす
という徹底ぶりだった。

 

それでも不安は消えなかった。
それどころかストレスになってしまい
長くは続かなかった。

 

 

給料が下がったのなら、
今まで以上に節約したり、
資産運用してお金を増やすしかない!

そう考えた私は、
たった0.01%しか変わらないのに

もっと利率のいい金融商品ないかなと
目の色変えて資産運用先を探すように
なった。


いくらお金が増えても使ってしまえば
またすぐに不安になる。

 

じゃあいったいいくら貯金があれば
不安じゃなくなるんだろう?

 


結局、いくら節約しても、いくら貯金しても
不安がなくなることはなかった。

 

そこで、
会社の給料以外でお金を稼ぐ方法を
探しまくった。

 


まずはメルカリ。
家中の不用品を探しては
徹底的に売りまくった。

 


少しでも高く売れるようにと
写真の撮り方を研究したり、
説明文も興味を持ってもらえるようにと
必死で作り込んでいった。

 


いざモノが売れれば丁寧に梱包し、
評価が良くなるようにと
お手紙も添える。

 


そして夜な夜なコメントのやりとりを
繰り返し、

翌日には送れるようにと
睡眠時間を削って発送の準備を整える。

 


疲れて帰ってきて休みたいはずなのに、
からだにムチ打って働く。

 


メルカリをやって分かったことは
結局労働と変わらないってことだった。

 

 

自分が働かなければ収入は入ってこない。

それじゃあいつまでたっても
家族と一緒に過ごす時間なんて取れない。

 

この労働地獄から抜け出すために
メルカリから離れることにした。

 

インターネットビジネスとの出会い

 

ちょうど第2子の妊娠が分かったころ
2ヶ月間の在宅ワークになった。

 

家で仕事するってこんなに快適なんだ。
こんな生活がずっと出来たらいいな
と思うようになった。

 

そこで、家にいながらすき間時間でも
出来る「副業」はないのかと
調べることにした。



「会社員 副業 バレない」
「副業 在宅」

 

などのキーワードで
会社以外でお金を稼ぐ方法はないか、
片っ端から調べまくった。

 


そこで見つけたのが
普通の主婦や大学生、高卒や
派遣社員が、

パソコン1台で
場所も人も時間も選ばず

月収100万、月収400万、
月収1000万を稼いでいるという事実だった。

 


「えっ?月収?年収じゃなくて? 」

 


自宅で子育てしながら、
家事育児の合間に月200万円を
稼いでいるという
ごくごく普通の主婦や、

私と同じように、
営業職として激務をこなしながらも、
シレっと月100万円を稼いでる会社員も
いることが分かった。

その方こそ、今の師匠だ。

 


もっと調べていくと、
ネットの世界には20代前半で億を
稼いでいる怪物みたいな人がゴロゴロ
いることも分かった。

 


「マジか…、めちゃくちゃ怪しい」

 


怪しいと思ったけど、
興味しかなかった。

 


師匠がどうやって、会社員をしながら
1秒も働かずに
月100万円も稼げているのか?

そのカラクリが
どうしても知りたかった。

 


いてもたってもいられなくなった私は、
師匠に話を聞かせて欲しいと頼み込んだ。

 


30分だけという条件のもと、
師匠とzoomで話すチャンスを
手に入れたのだ。

 

はじめてのzoom。
慣れないパソコン作業にとまどいながら、

開始15分前にはパソコンの前に張り付いて、
まだかまだかとその時を待っていた。

 


ぱっと画面が変わった。

師匠の第一印象は、
いい意味で普通の人。
笑顔が素敵な凛とした強い女性。

 


どんなギラギラした人がくるのかと
ドキドキしていたが、
いい意味で期待を裏切られた。

 


半ば興奮気味に
今までずっと気になっていたことを
間髪入れずに師匠に聞きまくった。

 


私:「会社員をしながら子育てをしながら
でも副業としてやっていけるのでしょうか?」


師:「はい。パソコンがあって、ある一定期間
継続してやることが出来れば誰でも
出来ますよ。

現にわたしは会社員をしながらでも
自動でお金が振り込まれています。」

 

私:「えっ?自動でですか?」

 

師:「はい。自動でです。寝ている間も
会社で働いている間も自動で振り込まれます。」

 

私:「本当ですか??」

 

師:「はっぴーさんはネットで
月いくら稼げるようになりたいんですか?」

 


私:「で、できれば月50万くらいは
稼げるようになりたいです。」

 


師:「50万かぁ…。
50万だったら余裕でいけますよ。

私はビジネスはじめて1年で
月100万稼げるようになったので。」

 

私:「えっ?1年で月100万ですか??」

 

空いた口が塞がらなかった。

 

師匠は、
私が必死で朝から晩まで
身を粉にして働いてきた給料よりも

はるかに多い金額をいとも簡単に
稼いでいたのだから。

 


続けて満面の笑みでわたしに
こう言った。

 


師:「で、つい最近、
会社に辞表を出しました。
あと数ヶ月後には脱サラします。」

 


私:「脱サラ?たった1年でですか?」

 

師:「ネットビジネスは
学歴・才能・年齢全く関係ありません。

知識ゼロでも、正しい知識を学び、
行動すれば誰にでも稼げるチャンスがあります。

学んで行動に移すスピードが
早ければ早いほど、結果は早く出ます。

パソコン1台で子育てしながら、
半年で月100万稼いでる主婦だって
たくさんいます。

だからはっぴーさんにもチャンスは
ありますよ。」

 

 

パソコン1台で自宅で働けるなら、
子育てしながらだって出来るし、

会社を辞めずに副業としてだって出来る。

 


それにもしこの話が本当で、
会社以外の収入を得ることができたら、

会社に依存しなくてもいいし、
将来の不安も消えるかもしれない。

働かずに自動でお金が振り込まれるように
なれば、自分や家族との時間も確保出来る
ようになるかもしれない。

 


もっと起動に乗ってきたら
会社を辞めるという選択肢も
持てるかもしれない。

 

「これなら私にも出来るかも!」

 


会社員をしながら激務で働く師匠と
話せたことで、
可能性しか感じられなかった。

 


このまま後30年間、
会社に依存して、家族との時間を犠牲にして、
子どもに罪悪感を感じながら生きるのか、

その可能性にかけてチャレンジして
みるのか。

 

もう自分の中で答えは明確だった。

 


別に会社を辞めるわけじゃないし、
本気で人生変えたいなら
やってみるしかない!と決意し、


2020年の10月。


勇気を出してネットビジネスの世界に
飛び込んでみることにした。



はっぴーの物語おわり

最後にどうしても伝えたいこと

 

いかがでしたか?

 

 

ここまで読んでくださったあなたは、

「はっぴーが特別だったのでは?」

と思ったかもしれません。

 


事実、過去の私も

ビジネスで成功できる人なんて
頭がいい人かほんの一握りの
才能がある人だけだと思っていました。

 

でも違いました。

 

ネットビジネスは
才能も学歴も年齢も全く関係ありません。

高校生でも

大学生でも

専業主婦でも

ママでも

会社で働きながらでも。

 


正しい知識を学んで素直に行動し、
コツコツと継続していけば、
誰でも自力で稼げるように
なります。

 


勉強も出来ない、
そんなダメダメだった私でも、

 

一歩踏み出して、

 

正しい知識を学んで、
シンプルに行動しただけで

本当に人生が変わりました。

 



私は過去の経験から、

「お金があっても労働的な働き方では
時間がないし、心も体もズタボロになっていく。」

ということを学びました。

 

いくらお金があっても
ダメなんです。

 

お金も時間もあってはじめて
やりたいことが出来るし、

幸福度の高い人生を送れるようになります。

 

 

今はもう

「お金のために死ぬほど働かなきゃいけない」

という常識は私の頭の中から消えました。

 

なぜなら
「自力で稼ぐ力」を身につけたからです。

 


労働することでしか
将来が見えてこなかった状態から

ビジネスを通じて新しい世界を知ったことで
一気に将来が明るくなりました。

 

もちろんこれからもずっと
学び続けるし日々上を目指していきます。

 


私は情報発信を通じて
過去の私のような悩みを持った人が、

自分のために時間を使えるようになって
ほしい。

自分のやりたいことに挑戦できる
人生を送ってほしい。

 

そんなきっかけになれればと思い、
情報発信をしています。

 

今このブログを読んでくださっている
今が人生で一番若い日です。

 

時間だけは刻一刻と過ぎていくんですよね。


「ん?ちょっと興味はある…」

「でも…もう少したったら考えよう」

 

って思っているうちにチャンスを
逃して後悔している人たちを
私は過去に何人も見てきました。

 


おそらく
ここまで私のブログを読んでいただいた
ということは、

本気で人生を変えたいと思っているのでは
ないでしょうか?

 

毎日が楽しくて、
自由な時間とお金があって
充実していて何の不満も悩みもないという方は
きっとここまで読んでいないはずです。

 

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きっとお役に立てると思います。

 

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1人1人にしっかりと届けることが出来る
メルマガが大好きです。



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はっぴー
はっぴー 東京在住。会社員&3歳息子と0歳娘のママ。大手金融機関勤務のOL。 2020年からネットビジネス開始。開始2週間で5万円の収益達成。働きながらでも、子育てしながらでも、安定して稼げる仕組みを構築。 このブログでは、「なりたい自分になる」をテーマに、忙しい人でも、ママでも出来る自動収益化の作り方について、無料メルマガで情報発信しています。